2011年3月28日月曜日

初音

今朝も鳥たちの声で目覚めました。
昨日は小雀の会の有志がギャラリーを訪れ、吟行句会もしましたよ。
久しぶりに名栗川の土手を歩いてウグイスの初音をききました!
初音とはいえ、すでに名調子でした。
ということはだいぶ前から鳴いていたのでしょうけれど、私には「初音」です。
けれどまだ名栗にはツバメが来ていません。

山雀亭の畑に顔を出したふきのとう。
このあたりではすでに長けて花が咲いているものが多いようです。
いつのまにか春は深まってきていました。

2011年3月26日土曜日

ほっとしています

今朝は冷たい風が吹いていますが、日差しは明るくて、梅も満開です。
コブシの花も咲きはじめましたね。
昨日は、いいことがありました。
釜石の友人のほかに、石巻に住む椋の会員のことが気がかりでしたが、おそるおそる電話をしてみたら、なんとつながって、ご無事でお元気でした!
電話は昨日やっと復旧したのだそうです。グッドタイミングでした!
河口に近いので、近所の家は床下まで津波が来たそうですが、町内で十軒ほどは被害がなく、そのうちの一軒だったと。高台にあったのが幸いしました。「空襲よりこわかった」とのこと。
今、友人のドンうちぼりは息子さんを連れて石巻を取材にいっています。

今日も明日も、雛の月ギャラリーはオープンしています。お客さんがくると電気をつけています。

2011年3月24日木曜日

囀り

ホオジロの大きなさえずりで目が覚めました。
今日は、講座も休みにしてもらい、都内へは出ません。
まだマグニチュード七クラスの余震が起こりうると専門家が言うのだから、地下鉄に乗り、高層ビルでの講座を受けに行く、というのは避けられるのなら避けたほうがいいのではと思います。俳句は二の次というのではないのです。俳句イコール講座ではないのです。講座の受講生の方たちには、こんなときこそ、身近な木々の芽吹きや鳥たちのさえずりをしっかり詠みとめておいてほしいと思います。 
放射能でもとうとう大きな被害が出始めました。
でも被災地では、ご飯を食べ、寒さをしのぐだけで精一杯。
私に今できることといえば、俳句を詠むことと、受け持った仕事を忠実に誠実にこなすこと。そして資源の無駄遣いをしないことと、余分に買って持たないこと。
そう思い定めて、ようやく、心を落ち着かせることができました。

2011年3月22日火曜日

やまがらてい

昨日の朝は、川の向こうで山雀がさえずっていました。
山雀亭、なんて読むの?とよくきかれますが、「やまがらてい」です。
ヤマガラはシジュウカラやヒガラ、コガラなどの仲間で、大きさはスズメくらい。
鬱々とした毎日ですが、週末も毎日少しずつ地元のお客さんが来てくれました。


今日は十日ぶりに渋谷へ出勤しました。

2011年3月19日土曜日

元気を出そう

今日は晴れてあたたかかった。
裏山では鳶が二羽、歌いながら舞っていました。

釜石の翠さん、無事でした!
ごく短いメールで、状況は過酷なのではと想像されますが、なんとか生きてると。
ほっとしました。
私にできること、考えましょう。

そろそろ写真もアップしなくてはね。

2011年3月18日金曜日

一週間

昨日は風花のような吹雪。
今朝は防火用のバケツががっちり凍っていました。
暮れてから久しぶりに鹿の声をききました。
名栗にこもって一週間。
気を奮い立たせて自宅で仕事をしています。
渋谷の編集部に迷惑をかけてしまうと、気ばかりあせりますが、なにをやってもうわのそら……困った。
原発のことよりもなによりも、釜石にいる友人のことが気にかかります。
翠さん、どうしているでしょうか。

雛の月ギャラリー、この週末もなんとなくあけていようと思います。
せっかくの灯りたちもともしておくことはできないけれど。

2011年3月14日月曜日

山雀亭より

金曜日、荻窪から半帰宅難民になって、未明に帰宅しました。
電車がとまっただけで、街並みはいつものまま。ただ、線路に沿って歩く人たちや、バスを待つ人が多かっただけ。公衆電話にも人が並んでいました。私もようやくぜんさんと連絡を取ることができました。
帰宅してほっとしたのもつかの間、ニュースを見て驚愕しました。
皆さまもきっとそうでしょう。
名栗は何事もなかったように穏やかで、一昨日も昨日も行楽の人さえみられました。
キツネにつままれたようでした。

昨日の朝は大きな音で目が覚めました。
鳥が窓にぶつかった音でした。
午前中名人からメールで「買占めが始まって大変なことになっているから、必要なものは早めに買い足して」と連絡が来ました。名人は大きなホームセンターに勤めているのです。お客さんの様子を見て、びっくりしたのでしょう。
原市場まで買い物に出た頃には、まだ商品はたっぷりありましたが、水やパンは品薄でした。それとぜんさん朝定食の納豆も買えませんでした!

ガソリンも売り切れ。じたばたするのはあきらめました。
都内へ仕事に出る日でしたが、停電で大混乱するのではと思って、控えました。
しばらく名栗にとどまっているつもりです。

次々に被害がひろがっているのをテレビで見ながら、これは結局のところ予測通りの事態なのだな、と思いました。
大地震があるとこんなことになる、というのは、おそらくみんな想定していたんだけど、それを思っていては生きていけない。備えだって、うまく活かせるとも限らない。
原発のことも、安全だなんて、誰一人思ってなかったでしょうけれど。
その恵みを享受していた一人としての私がいます。

なんというか、……どんなことがあっても、無事を確かめあった大切な仲間たちと、声を掛け合いながら誠実に生きていかなくては。
そんなことを考えていました。

そしてうまく伝わらないかもしれないけど、私の生まれた、そして生きてきた、生きてゆく日本……自分のことしか考えられない人たちー私たち?-が創り上げたうつろな国家。
この恥ずかしさも胸にしっかり刻み込みます。

今はこんなことしか書けなくて、ただ被災地に向かって祈りを捧げます。

2011年3月10日木曜日

一歩ずつ


昨日の夜も雪が舞った名栗。
ここのところまた毎朝霜が降り、クルマのウィンドウが凍っているのであります。
春は、一歩ずつ。
梅は満開に近くなりました。

スタッフのほうが多いという平日のギャラリーでしたが、観光協会の方も訪ねてきてくださり、お話をたくさんうかがうことができました。

俳句をつくっていらっしゃるというご近所さんは、我が家の干し柿を見てつくったという俳句をそっとぜんさんに持ってきてくれましたよ。

2011年3月7日月曜日

橋を渡って

朝から雪。
塀の上に二センチ積もって雨に。
寒いこと!
誰も来ないかなと思いながらも、当番のyoshikoさんが来てくれました。
二人で姫神を聴きながら、それぞれの仕事を片付け、「こんな一日もいいね」
でも夕方にはお客様が橋を渡ってみえましたよ。
いつもお世話になっている郵便局の職員さん。
いいね、こういうのって!
ぜんさんのお酒がまたすすむのでありました。


2011年3月6日日曜日

ギャラリー二度目の週末

昨日は海雀の会Ⅰのメンバーが初めてニ階で勉強会をしました。
いつもの部屋が展覧会で使えないからです。
でも、二階もとても居心地がよかったとのこと。
勉強会に使った座卓は名人の作で、ぜんさんが仕入れた欄間を利用したものです。
写真は今度。
これは、会のメンバーの一人、chisaさんが飛び入りで出品してくださった植物画です。
写真では光ってよく見えないので、どうぞ実物を見に来てくださいな。
この日も名栗の方たち、たくさんお見えになりました。



これは、本日の当番、nobukoさんのお雛様。


私は句会で留守でしたが、今日もいろいろな方がお越しくださったようです。
遠くからも、近くからもーー。
ありがとうございました。
約束通り来てくださったハンターさん、お会いしたかったなあ……。
ぜひまたお立ち寄りください!


2011年3月3日木曜日

ギャラリーつれづれ

雛の月ギャラリー四日目の火曜日はこんな感じでした。
内職に励む名人と窓際のぜんさん。














スタッフのお昼御飯を仕込むひろりんさん。



きのうはきのうでギャラリーはお休みでしたが、山雀亭はものつくりの六人の女性たちではち切れそうでしたよ。




















冴え返る一日。
写真は、アフガンのランドセルの少女。
ドンうちぼりの作品です。