2011年3月14日月曜日

山雀亭より

金曜日、荻窪から半帰宅難民になって、未明に帰宅しました。
電車がとまっただけで、街並みはいつものまま。ただ、線路に沿って歩く人たちや、バスを待つ人が多かっただけ。公衆電話にも人が並んでいました。私もようやくぜんさんと連絡を取ることができました。
帰宅してほっとしたのもつかの間、ニュースを見て驚愕しました。
皆さまもきっとそうでしょう。
名栗は何事もなかったように穏やかで、一昨日も昨日も行楽の人さえみられました。
キツネにつままれたようでした。

昨日の朝は大きな音で目が覚めました。
鳥が窓にぶつかった音でした。
午前中名人からメールで「買占めが始まって大変なことになっているから、必要なものは早めに買い足して」と連絡が来ました。名人は大きなホームセンターに勤めているのです。お客さんの様子を見て、びっくりしたのでしょう。
原市場まで買い物に出た頃には、まだ商品はたっぷりありましたが、水やパンは品薄でした。それとぜんさん朝定食の納豆も買えませんでした!

ガソリンも売り切れ。じたばたするのはあきらめました。
都内へ仕事に出る日でしたが、停電で大混乱するのではと思って、控えました。
しばらく名栗にとどまっているつもりです。

次々に被害がひろがっているのをテレビで見ながら、これは結局のところ予測通りの事態なのだな、と思いました。
大地震があるとこんなことになる、というのは、おそらくみんな想定していたんだけど、それを思っていては生きていけない。備えだって、うまく活かせるとも限らない。
原発のことも、安全だなんて、誰一人思ってなかったでしょうけれど。
その恵みを享受していた一人としての私がいます。

なんというか、……どんなことがあっても、無事を確かめあった大切な仲間たちと、声を掛け合いながら誠実に生きていかなくては。
そんなことを考えていました。

そしてうまく伝わらないかもしれないけど、私の生まれた、そして生きてきた、生きてゆく日本……自分のことしか考えられない人たちー私たち?-が創り上げたうつろな国家。
この恥ずかしさも胸にしっかり刻み込みます。

今はこんなことしか書けなくて、ただ被災地に向かって祈りを捧げます。